日々雑記

ひろくてふかことあさくてせまことおもいだすことまいにちかくこと

閑古鳥鳴くプール

休日の金曜日。先週は休みがまるでなかった分、今週は1日おきに休日という変なシフトが組まれている。子供たちは夏休み真っ最中。長男Iくんは、朝起きるとすぐに宿題をやって、これから一日中遊ぶ体制を整える。えらい。私は宿題はまったくやって行かないタイプだったから、本当に感心している。嫌だな、めんどくさいな、と思うのは正直なことだが、子供の頃の私はあまりにも正直に行動しすぎた。当時は本当にぼーっとしていたので、大人になってもあまり考えられない脳みそになったと思う。少しくらい真面目に勉強しておけばよかったな、と少し後悔しているが、それは後の祭りというもの。来世でまた生まれ変わったら、子供の頃からよく勉強して、しっかりした大人になりたいな、というくらいに思っている。別に、その分子供に夢を託しているわけではないが、普通の宿題くらいは、やらないよりはやったほうがいいと思うから、子供たちにはそれだけは最低限と、お願いしてやってもらっている。そうして習慣になってみると、長男Iくんのように、自分から進んで机に向かうようになる、なんてことにもなるようだ。午前中に、車を走らせて、市営のプールまで家族で行き、お昼頃までたっぷり泳ぎ遊んだ。穴場のようで、人が少なく寂しい雰囲気だが、とても遊びやすい。子供たちはいくら泳いでも元気だけれど、私はフルパワーの平泳ぎ15メートルぽっきりでノックダウンだった。

 

 岡 潔の『紫の火花』(朝日文庫)を読了。ディープ・パープルな雰囲気。岡潔さんの本を読むのはこれで3冊目だと思う。彼によって定義される「情緒」という概念は、少し独特だ。そして、岡 潔というひとは、この「情緒」を、本当に色々な物事から読み取り、さまざまな角度から表現してみせる。それは絵画だったり、詩や俳句だったり、囲碁や将棋だったり、脳科学だったり、子供達だったり、教育だったり、数学だったり、宗教だったり。いつも読み初めはとっつきにくいな、と思ってしまうのだが、だんだんと読み進めていくうちに、私にも感覚的に理解できる文章(表現)に出会うことができる。なんだかうまくいえないけれども、ああ、これはわかるな、と思う。例えば、こういうことが書いてある。

「自我を抑えること。大脳前頭葉が、自我という本能の支配から解放されることによって、人は情緒を知ることができる。情緒がある以上、自分はあるのである」岡さんの言う自我とは、平たくいえば欲情(獣らしい感情)のことであって、大脳前頭葉はその欲情を抑止する力を持っている。そして、その力を発揮させるものが自由意志(真我)であるという。そして、彼はこう続ける。

「真の自分は真我であって、自我は自分ではなく、自分の敵である。したがって真の自由とは、外界からだけの自由ではなく、内心の自我からの自由も合わせて意味しなければならない。」つまり、自分を開放するということは、自我を解放するということではなくて、自我から自由になって真我を解放せよ、ということですね。全然平たく書けないから「そのままじゃん!」なのだけれど、なんとなく理解はしている。

以下、私が好きな表現を2、3抜粋しておく。

「独創は言わば真空放電のようなものである。」カッコイイ!

「心の真相に働く純粋直感は、外面から見れば強靭な意志力、内面から見れば心の悦びです。」私はこの喜びを求めて生きていきたいと本当に思いましたよ。

「自己を運びて万法を修証するを迷とす。迷中また迷の感あり(道元禅師)」これは子供達にも教えてあげたいな。迷子になったら我慢してそこから動くなよ。探し回るのは親の役目なのだから、と(笑)。

 

 

 本日のBGMはドリーム・シアターのライブ。好き。